レジリエンス外来.64
もしも私が「清水先生が座る席」に座ったとしたら。
つまり、患者ではなく、ドクターの席に座ったとしたら。
世界は、どんな風に見えるのだろうか?
私はそんなことを想像してみます。
扉が開く度に、別の患者が現れます。
つまり、扉が開く度に、別の物語が語られます。
清水先生の、精神腫瘍医の外来に来る患者は、
治ることなど、求めてくることはないでしょう。
生きることさえ求めてはいないかも知れません。
私がそうだったように。
がんは死ぬまでに時間を持つことができる病気です。
死と向き合うことに時間を持つことができる病気です。
自分をどう始末すれば良いのか?
患者は救いを求めてくるのです。
私がそうだったように。
清水先生は、そんな患者に寄り添って言います。
「あなたの物語を聴かせてください」
そうです。
清水先生の席からは、沢山の「物語」たちが見えます。
しかも、一つとして同じ物語などありません。
そして、それらは、
その人が「生きた証」の物語なのです。
どれもが眩いばかりに煌く「命の物語」です。
清水先生は3500を越える数の「命の物語」を、
聴いてきたのでしょう。
そして、人が自分の命の物語を語ることで、
レジリエンスの力を発揮して自ら救われる瞬間に
立ち会ったのかも知れません。
死と向き合う患者に寄り添うことは、
大変な努力が必要なことかも知れません。
けれども、辛いことばかりでは無いのかも知れません。