「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

コントレイル.50

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さて、私が「能の死生観」と書き続けてきたこと。

それは、「生と死は対立するものではなく、一対のもの」

という、日本人が古来から持つ、独特の死生観のことです。

ちなみにここでの「日本人」とは、いわゆる人種のことではなく、この島国で生まれ育った人のことを意味します。

能を大成した世阿弥の「風姿花伝」の一節に

「花は咲いて面白く、散って珍しい」

というものがあります。

花とは、舞台上の美を指します。

その花の「咲く」と「散る」が同列に評価されています。

これは、世阿弥が作った言葉ではなく、

世阿弥が日本人の美学観から読み取った言葉だろうと思われます。

つまり、日本人は「咲く」と「散る」をセットで「美しい」と感じる。そこに「美学」を見出す国民である。

そう、世阿弥が読み取ったのだろうということです。

日本人が「咲いてよく、散ってよし」サクラの花を愛するのは、日本人の美学を表せばこそなのでしょう。

それは、聖徳太子が、この島国の国民性が、他の何よりも

「和」という「ことを荒立てずにみんな仲良くすること」を最優先させることを読み取ったからこそ

「和をもって貴しとする」と、憲法の筆頭に掲げたようなものです。

その日本人の古来の死生観とは、

「あの世」と「この世」は、すぐそばにある。

というものでしょう。

私はこの死生観を、稲垣麻由美さんが金井雄資師をインタビューをした際に知ることができました。稲垣さんが金井師から聴き出してくれたのです。

私はそのおかげで「死」を恐怖としては考えなくなります。だって、私は死んでも、愛する人たちから遠く離れた世界で、ひとりぼっちになることは無いのだから。「人は死んだら何処に行くのか」という問いの答えは「何処にも行かずにここにいる」でした。

そして私は考えました。この死生観に触れることが、

「死の恐怖」に抗うのではなく、受け入れる方法であるということを。

そして、その言語化のために、これまで、私は精神腫瘍医という科学者清水先生に伴走していただきながら、実践してきました。