コントレイル.50
さて、私が「能の死生観」と書き続けてきたこと。
それは、「生と死は対立するものではなく、一対のもの」
という、日本人が古来から持つ、独特の死生観のことです。
ちなみにここでの「日本人」とは、いわゆる人種のことではなく、この島国で生まれ育った人のことを意味します。
「花は咲いて面白く、散って珍しい」
というものがあります。
花とは、舞台上の美を指します。
その花の「咲く」と「散る」が同列に評価されています。
これは、世阿弥が作った言葉ではなく、
世阿弥が日本人の美学観から読み取った言葉だろうと思われます。
つまり、日本人は「咲く」と「散る」をセットで「美しい」と感じる。そこに「美学」を見出す国民である。
そう、世阿弥が読み取ったのだろうということです。
日本人が「咲いてよく、散ってよし」サクラの花を愛するのは、日本人の美学を表せばこそなのでしょう。
それは、聖徳太子が、この島国の国民性が、他の何よりも
「和」という「ことを荒立てずにみんな仲良くすること」を最優先させることを読み取ったからこそ
「和をもって貴しとする」と、憲法の筆頭に掲げたようなものです。
その日本人の古来の死生観とは、
「あの世」と「この世」は、すぐそばにある。
というものでしょう。
私はこの死生観を、稲垣麻由美さんが金井雄資師をインタビューをした際に知ることができました。稲垣さんが金井師から聴き出してくれたのです。
私はそのおかげで「死」を恐怖としては考えなくなります。だって、私は死んでも、愛する人たちから遠く離れた世界で、ひとりぼっちになることは無いのだから。「人は死んだら何処に行くのか」という問いの答えは「何処にも行かずにここにいる」でした。
そして私は考えました。この死生観に触れることが、
「死の恐怖」に抗うのではなく、受け入れる方法であるということを。