「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

コントレイル77

人生でほんとうに大切なこと がん専門の精神科医・清水研と患者たちの対話

この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも吾はなりなむ

生ける者 つひにも死ぬる者にあれば この世なる間は 楽しくをあらな

                     (大伴旅人万葉集>)

 

この世が楽しければ、来世は虫や鳥でも構わない。

どうせ死ぬのであれば生きている間は楽しみたい。

どちらも大伴旅人の「酒を讃むる歌」です。

 

これは、「未来につながらない今」を歌った歌のように思います。

 

人生でほんとうに大切なこと がん専門の精神科医・清水研と患者たちの対話

では、清水先生の言葉として、次のような言葉が記されています。

「死の社会学という視点から見ると、産業革命以降、日本では宗教を失い、死からも遠ざかって、人間はなぜ生きるのかを日々考えなくなったと言われています。

 今の我々は、死ぬということを考えないから、一年後、五年後、十年先をどうしようかと先々のことばかり促えて、今日この一日、今、ここを生きていないということになっているのではないでしょうか」

「人間は今、この瞬間しか生きていないのです。例えば、すごく綺麗な自然を見たとき、その自然を感じる感性をなくしてしまうことは、すごくもったいないことです。

 日本人の昔から持っている無常感。もののあわれというような。

 がんの患者さんが桜の花が散る様子を見て心から感動するというのは、今、この瞬間がかけがえのないことをわかっているからです」

「それは、先生が以前教えてくださった死生学ですね」

「死を意識するからこそ、いかに生きるかということを、より人間は真剣に考えるようになります。だから、生きるということと死ぬということは表裏一体なんだ、という考え方です」

 

 清水先生は、「生死は表裏一体」ということを説きます。

 

 そして、私は、「武士道と云ふは死ぬことと見つけたり」という葉隠の有名な一節が、逆説的な生き方の勧めであることを理解します。

 同時に、「日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか」の中でも同様の場所を見つけます。

 

日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書)

━一般的に武士にとって、来世的なものは情熱的に求められていません。ひたすらこちらの共同体において生き切るということが「死ぬこと」の意味です。切腹という自殺も、その目線はあくまでも残された人々、共同体に向かってなされています。

 

 武士道とは、生き切ることと見つけたり。