「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

5%の5年間.3 死ななかったらどうしよう

観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い (中公新書)

 

もしかしたら、特攻に失敗した特攻隊員の気持ちというのは、こんな感じなのかもしれない。

 

大切な人たちに「5年生存率5%」という事実を告げて入院した私は、

彼らが悲しんでくれたことに感謝すればするほど、不思議な気分になっっていました。

 

もしも、5年以内に死ななかったら。

彼らの期待?を裏切ることになるのではないだろうか。

大騒ぎしていながら、もし死ななかったら、

大山鳴動して鼠一匹

騒ぎ立てた私は恥をかくことになりはしないか?

 

私はなんとしても、死を受け入れる覚悟を定めることにしました。

 

幸いなことに、私の大親友に、能楽師がいます。

能楽とは『生者と死者の邂逅』である」と教えてくれる彼の話から

我が魂の鎮魂について考えました。

そして、能楽が大成された室町時代の歴史について学びました。

不思議なことに、切羽詰まっているはずの私は、病床にいながら室町時代の歴史の勉強をはじめたのです。

大学の受験科目に日本史を選択した私は

日本史については知識があるつもりでした。

しかし、改めて学んでみて驚いきました。

室町時代、特に世に云う南北朝時代は、『生き残ることこそが正義』だったのです。

 

敵の敵は味方。昨日の友は今日の敵。裏切りは日常茶飯事。

そう『生き残ることこそが正義』

そこには、『美しい死』などは存在しない。

盛者必衰であるからこそ、生者必滅であればこそ、限りある命を生き延びる

まさに、目から鱗が落ちるとはこのことでした。

 

そして、ようやく親友の言葉が理解できたのです。

能楽は鎮魂歌にして、だからこそ、生命賛歌でもあるのだ」

 

馬鹿馬鹿しい話のようですが、、私はこの言葉から

「たとえ、95%の確率であっても死を受け入れることなく、いやだからこそ、生き延びても良いのだ」 と思えるようになったのでした、