5%の5年間. 4 死ななかったらどうしよう
大河ドラマなどの時代劇を観ていると、
歴史上の人物が、
─なんとかして『朝敵』にはならないように、朝敵指定されないように。
と奮闘する姿が描かれることがあります。
足利尊氏は、後醍醐帝から『朝敵』とされました。
しかし、尊氏は後醍醐帝以外の皇統(天皇に即位できる家系)に着目します。
後醍醐帝の当時は、『持明院統』と『大覚寺統』といふ二つの皇統がありました。
後醍醐帝は、大覚寺統の帝でした。
そして、光明帝に後醍醐帝の側近である新田義貞を朝敵指定してもらいます。
足利尊氏は、
後醍醐帝の南朝から見れば朝敵
光明帝の北朝から見れば忠臣
ということになります。
足利尊氏には、朝敵指定に「恐れ入って」、降参するという選択肢もありました。
しかし、尊氏は生き残る為に、正義を自分の頭上に持ってきて輝かせた。
降参したら死んだも同然。ならば、生き残ることこそが正義、
という道を選択したともいえます。
私は「5年生存率5%」という診断を受け容れようとしていました。
いや、診断は事実なので受け容れることは間違いではないでしょう。
問題は、受け容れた後の対応です。
私は、穏やかに死を受け入れることが「美しい姿」だと思っていました。
生き延びようとジタバタすることは見苦しいことだとも思っていました。
だからこそ、「死ななかったらどうしよう」と煩悶していたのでした。
だって、「男は黙って…。」が男の美学でしたからね。
そんな私を観たら、室町時代の人々は不思議に思ったことでしょう。
なにしろ彼らにとっては、「生き残ることこそが正義」なのですから。