5%の5年間.⒖ 死んだらどうなるのか?
免疫学者であり能作者でもある多田富雄氏の著作『脳の中の能舞台』(新潮社)の中に、『日本の伝統』という小文があります。
『日本の芸能の中には、『老い』という主題が見事に結晶となっている。
能の『翁』はいうまでもないが、『高砂』や『老松』など祝言の能の前シテはたいてい老人の姿で現れる。『老い』というのはまず、めでたく寿ぐ言葉なのである』
人は誰しも『老いる』ことに、ある種の恐怖を持っています。
しかし、日本の文化の中では『老いる』ことは『神に近づく』ことだという。
とのこと。
何故、日本人が『老いる』ことにそれほどの価値観を見出したかと云えば
日本人は時間というものを、
たんに過ぎてゆく物理現象ととらえるのではなく、
時の流れによって積み重なってゆく自然の『記憶』のようなもの
を発見したからだと。
『老いる』ことの延長線上に『死ぬ』ことがあるから
人は『老いる』ことに、ある種の恐怖を持つのでしょう。
少なくとも私はそうでした。
時間は過ぎ去るものではない。積み重なってゆくもの。
私が誰かと共有した時間は、私の中で、誰かの中で積み重なっていたとしたら。
私が死んでも世界は何にも変わらない。
『命に終わりあり 能には果てあるべからず』(世阿弥)
世阿弥の頃、『能』という言葉は『物語』を意味したそうです。
私の命が終わっても、私の物語は終わらない。
もちろん、それは私だけではなく、誰もが同じことです。
誰もがその人だけの『物語』を生きているのですから。