「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

5%の5年間.ドラマでは語られることのない話

「つひにゆく 道とはかねて聞きしかど きのふ今日とは思はざりしを」

 

この歌は「伊勢物語」の最後を飾る歌。

 

「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」

「散ればこそ いとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき」

と、反語表現が多い「伊勢物語」の中でもストレートでわかりやすい歌です。

 

伊勢物語」の主人公に擬せらる在原業平は、

宇多帝がまとめた「日本三代実録」に「体貌閑麗」と明記されるほどの

国家認定レベルの絶世美男子であったといいます。

その在原業平は、平安京を創った桓武帝の長子、平城帝の孫。

世が世ならば、帝位を継承可能性があるほどの高貴な美男子でした。

 

ところが、平城帝の後は弟君の嵯峨帝が帝位につきます。

平城帝が病気がちであった故の譲位だったそうです。

嵯峨帝に譲位した平城上皇は、健康を取り戻すと、

平安京(京都)ではなく、平城京(奈良)に住まいを戻します。

ここに、嵯峨帝(平安京)と平城太上天皇上皇)(平城京)が、

「二所朝廷」と称される対立関係が起こってしまったのです。

対立関係はエスカレートして軍事衝突に発展しそうになります。

結果は「薬子の乱」として教科書にもあるように嵯峨帝側の勝利に終わりました。

上皇である平城上皇を罰することができないので、「薬子の乱」と称されます)

 

平城帝は、罰されることはありませんでしたが、その子孫は皇統から排除されてしまいました。

こうして平城帝の長子であった阿保親王の息子は、「臣籍降下」して皇族としての地位を捨てることになります。

阿保親王の息子、在原業平は自身には何の過失もなく、皇族ではなくなったのです。

 

運命に翻弄されて高貴な身分から墜落した絶世の美男子。

 

そんな在原業平は、おそらくは大変な人気者だったでしょう。

それでも、そんな人気者でも、死を受け容れるしかできないのです。

 

既に遠い昔にこの世を去った人の死を思うと、不思議な気分になります。

「ほんとうに、人は必ず死ぬのだな」と、納得できるような気分です。

千年の眠りを醒ます『伊勢物語』