精神腫瘍医との対話より・日本人の死生観考察

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

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私は自分自身が「がん宣告」を受けて、精神的に適応できなくなった経験から、

「がん専門の精神科医」ともいえる「精神腫瘍医」の存在を多くの人に伝えたいと思いました。

一般の精神科医ではなく、

がんという病気、その治療と治療によって起こる心身の変化。さらには「転移」や「再発」に伴う心身の変化。そして、さまざまな鎮痛剤、安定剤、医療麻薬の知識。

それらを兼ね備える精神腫瘍医の存在は、あまりにも知られていませんでした。

二人に一人が、がんになる時代。

百年近く生きねばならなくなった時代。

誰もが、「考えてみれば、居て欲しいよね」と思う存在。

それが精神腫瘍医です。

そんな精神腫瘍医の存在を伝えたいことが、

私の残りの時間を使ってやりたいことです。

そして、もう一つ。

そんな精神腫瘍医清水研医師との対話の中で学んだ

「日本人の古来からの死生観」を伝えたい。

「日本人の古来から死生観」というのは、「知識」であり「情報」です。

「霊の存在を、信じるか、信じないか」は、信仰上のことなので、共感されなかったり、否定されることもあります。

しかし

「日本人は古来から、霊の存在を信じていたようです」

ということは、否定されません。

つまり、誰もが共有できることです。

共感しやすいことです。

自分が死を迎える時に、

自分は古来から霊の存在を信じて来た日本人である

ということは、私にとっては心の支えになりました。

信仰ではなく、知識ですからかもしれません。

さらには、

日本人は、死んだら遠い天国や極楽に行ってしまうのではなく、

死んだら、近くの「他界」から子孫を見守っていた

という知識を得た時に、私はとても安らかな感じを得ました。

その「知識」や「情報」を伝えたいと思いました。

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「人間は、一日一日をよく生きながら、しかも同時に、つねに死に処する心構えの用意を続けなければならない。

私は、生命をよく生きるという立場から、死は、生命に対する「別れのとき」と考えるようになった。

立派に最後の別れができるように、平生から、心の準備を怠らないように努めるのである」

これは、がんに直面して生きて死んだ、宗教学者の岸本英夫の言葉です。

死生学を学ぶということは、このような言語化された「死生観」に触れることでもあります。

しかし、清水先生は、患者たちとの対話の中で、

言語化できない死生観」に触れたことでしょう。

人は思いの全て、考えの全てを言語化できるわけではありません。

「文字は月をさす指である」

というのは、空海の言葉だったでしょうか。

文字は、言葉は、月=真理をさす指でしかない。

言葉はとても便利なものです。

しかし、言葉は万能とはいえません。

それでも、私たちは何とかして、誰かに思いを伝えるために、言葉を紡ぎます。言語化を試みます。

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人は死んだらどこに行くのだろう?

病気になった私は、死を受け容れることで苦しみました。

そんな私は、清水先生に出会って、それまでとは異なる世界へと展開することになりました。

清水先生から、「死生学」というキーワードを教えていただいたことで、私は「生きる」ということを考えることになりました。

清水先生のおかげで、死ぬことばかり考えていた私は、

生きることを考えるようになったのでした。

そして、生きることを考えるうちに、

私は宗教ではなく、歴史に答えを探しました。

そして、日本人は古来から

「人は死んでも何処にも行かない

そう考えていたらしいことを知りました。

そんなところにたどり着くことができたのは、

毎月一回の「科学者」である清水先生との対話のおかげです。

2015年の11月に始まった清水先生との対話は、

本日、2020年3月18日をもって完結します。

私は精神腫瘍科外来から卒業することにしました。

精神腫瘍医清水研さんと私との関係を、

医師と患者という関係から、別の形をとることにします。

未来は限りなく広がっていて、それでいて決まっている。清水先生との出会いからの道程は、選択の結果の必然だったようです。

清水研さんと酒を酌み交わす日が楽しみです。

コントレイル.53

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少し先を急ぎ過ぎたようです。

実は「人生でほんとうに大切なこと」で精神腫瘍科を知ったものの、タイミングが悪くなかなか受診の機会に恵まれない方からも、「お能の死生観」に興味あるとのメッセージをいただいたもので、先走りました。

「わからないことは、怖い」

このことは、まさに今の新型コロナウィルスに対する私たちの姿ですが、「死後の世界」についても同様です。

人は「死」についてわからないから怖いのです。

ですから、精神腫瘍医は、「死の恐怖」を整理して理解する手助けをします。

例えば、死ぬのが怖いかの理由は、

「遺された妻子が路頭に迷うから」だったりします。

「死んだら自分は消滅してしまうのではないか」

という恐怖もあります。

私はあまりスピリチュアルなことは好きではありません。

がんという病気を巡るスピリチュアルなことはほんとうに多く、その結果、治療の遅れから残念な結果になってしまった例を噂に聞きます。

私と同じ時期にがんが発現したある有名人は、民間療法に走って標準治療を受けることが遅れた為に亡くなったと聞きます。

ところで多くの日本人は、「無神論者」だといいます。

しかし、初詣に神社仏閣で頭を垂れ、お盆やお彼岸には墓参りに行きます。

多くの日本人にとって「人は死ねば霊になる」ということは、受け入れ易いことでしょう。

さて、それでは人は死んで霊になったら、何処に行くのか?

民俗学者の柳田邦男は、近くの山や海などにある「他界」にとどまる。と、考えていました。

つまり、遠い「あの世」ではなく、「この世」と「あの世」のはざまのような処から、子孫を見守っている。

と。

どうやら日本人の古来からの死生観とは、このように

人は死ねば霊になる。

霊は「他界」にとどまり子孫を見守っている。と考えたようです。

コントレイル.52

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日本の独特な哲学・美学ともいえるものに「武士道」があります。

ところで、能楽、猿楽がこの武士道を形成する上で欠かせないものであったことは、あまり知られていません。

武士道は、武装農民であった者たちが、武士となるなかで培われた哲学です。 しかし、武士として戦闘することが禁じられた江戸時代に磨かれてました。 その結果、武士道は、およそ800年近く日本人の中に根付き、武士のみならず、日本人の美意識に強い影響力を持つことになります。

「戦闘しない」どころか「刀を抜かない」で、民の規範となることが武士には求められます。

まさに、「矛を止める」ための武士道は、日本の「藩国」単位に個別に進化します。

しかし、薩摩藩の武士道と会津藩の武士道に、大きな違いはありません。藩国の上には徳川幕府があったからです。封建制度であった江戸時代ですから、地方の文化も花開きましたが、なんといってもその中心には徳川幕府がありました。そして、徳川幕府が公式とした芸術芸能こそが猿楽、後の能楽でした。

コントレイル.51

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私だけでなく、がんを告知された者は、死を恐怖します。

医学の進歩で「治る病気」になったとはいえ、がんという病気への恐怖心は簡単には払拭できないでしょう。

人は死の恐怖心と、どう対処すれば良いのか?

他の人は、どう対処したのか?

私は沢山の事例を知る清水先生から、その情報を得たいと思いました。

沢山の人が可能な対処ならば、私にも可能な対処かも知れない。

そう考えたからです。

しかし、清水先生の答えは

「答えられません」というものでした。

そして、清水先生の答えは「真実」でした。

何故なら、人の人生とはほんとうに「個別」なものだから、死の恐怖への対処もそれぞれだからです。

どんな人も死の恐怖と闘って、やがて受け入れて死んでいきます。

「どんな人にも手数は違っても、詰むことが決まっている詰将棋」と清水先生が「人生でほんとうに大切なこと」の中で語っている通りです。

その清水先生から「死生学」を学ぶことを示唆された私は私は、死の恐怖と戦うことではなく、受け入れることを選びます。

そして、日本人古来の「死生哲学」として、「お能の死生観」を学ぶことにします。

その日本人古来の死生観、日本人独特な死生観を学ぶに際して「お能の死生観」を選んだ理由は、親友の金井雄資師が重要無形文化財能楽師であることだけでなく、その歴史的な背景からです。

能楽、いえ猿楽は不思議な歴史を持つ芸術です。

コントレイル.50

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さて、私が「能の死生観」と書き続けてきたこと。

それは、「生と死は対立するものではなく、一対のもの」

という、日本人が古来から持つ、独特の死生観のことです。

ちなみにここでの「日本人」とは、いわゆる人種のことではなく、この島国で生まれ育った人のことを意味します。

能を大成した世阿弥の「風姿花伝」の一節に

「花は咲いて面白く、散って珍しい」

というものがあります。

花とは、舞台上の美を指します。

その花の「咲く」と「散る」が同列に評価されています。

これは、世阿弥が作った言葉ではなく、

世阿弥が日本人の美学観から読み取った言葉だろうと思われます。

つまり、日本人は「咲く」と「散る」をセットで「美しい」と感じる。そこに「美学」を見出す国民である。

そう、世阿弥が読み取ったのだろうということです。

日本人が「咲いてよく、散ってよし」サクラの花を愛するのは、日本人の美学を表せばこそなのでしょう。

それは、聖徳太子が、この島国の国民性が、他の何よりも

「和」という「ことを荒立てずにみんな仲良くすること」を最優先させることを読み取ったからこそ

「和をもって貴しとする」と、憲法の筆頭に掲げたようなものです。

その日本人の古来の死生観とは、

「あの世」と「この世」は、すぐそばにある。

というものでしょう。

私はこの死生観を、稲垣麻由美さんが金井雄資師をインタビューをした際に知ることができました。稲垣さんが金井師から聴き出してくれたのです。

私はそのおかげで「死」を恐怖としては考えなくなります。だって、私は死んでも、愛する人たちから遠く離れた世界で、ひとりぼっちになることは無いのだから。「人は死んだら何処に行くのか」という問いの答えは「何処にも行かずにここにいる」でした。

そして私は考えました。この死生観に触れることが、

「死の恐怖」に抗うのではなく、受け入れる方法であるということを。

そして、その言語化のために、これまで、私は精神腫瘍医という科学者清水先生に伴走していただきながら、実践してきました。