「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

レジリエンス外来.38

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レジリエンス外来のワーク2で振り返ってきて、

私はようやく清水研先生との出会いまで立ち帰ることができました。

当時の私は、後に清水先生が表すところの

「騎手」が「馬」を制御できない状況でした。

「頭」で「泣いてはいけない」と思っても、

「身体」は泣いてしまいます。

そんな私に清水先生は

「泣いても良いのではないでしょうか」

といいました。

「泣きたかったら、泣けば良い」

ではなく

「泣きたかったら、泣いても良いのではないか」

です。

泣く、泣かないの二択ではなく、

泣く、泣かない、どちらでも良い。

私は、不思議な解放感を感じたことを覚えています。

死を受け入れるしかない私は、息がつまりそうでしたが、自分がそれほど追い詰められている事に気づいていませんでした。

私は、冷静でした。

私は、医学的な統計を信じていました。

私の身体から消えない激痛も、

放射線抗がん剤が神経を焼き切ったり、潰したりした事が原因である事を知っていました。

つまり、どんなに痛くても死なないという事を知っていました。

そんな私が追い詰められているなどとは、思いもよりませんでした。

何より、追い詰められているヒマはないのです。

私には時間がないのですから。

時間のない私は、「泣いてはいけない」と思いながら、

涙を流してしまっていました。

私は奈落の底を踏み外した闇の奥で、 迷子になってしまいました。

そんな私と一緒になって迷子になって手を引いてくれた人。

それが、清水研先生でした。

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