レジリエンス外来.35
「千賀さん、奥さまやお子さんに言えないような泣き事でも、私には伝えてくださいね」
稲垣先生から、そんなメールをいただきました。
だから、稲垣さんの前で泣くことに、あまり抵抗はありませんでした。いや、抵抗感があったとしても、泣くことは止められませんでしたが。
そういえば、私が跡を託すつもりの大澤健二が、
私の活動を応援する「応援団」を作った時のことです。
「私、大澤が事務局長を務めます。能楽師の金井さんと千賀さんの奥さんは顧問ということで、「形」にします。あー、稲垣さんは応援団には入れませんから」
大澤健二さんは「対応の達人」です。
この当時は7万人のリスクマネジメントの対応を担当していました。
「稲垣さんからも「応援団に入りたい」と言われましたが断りました。稲垣さんは応援団の仲間ではありませんからね」
大澤さんは、稲垣さんが客観的な立ち位置にいることにこだわってくれたのです。
大澤さんは、私ががん宣告を受けて以来、死ぬことばかり考えていることに気づいていました。
大澤さんは「対応の達人」です。
うつむいた私に顔を上げさせ、前を向かせるには、
「私が前をむけば、誰かのためになる」
という状況を作り上げる、と対応したのです。
大澤さんは応援団を結成することで、
文筆家である稲垣先生を孤立させました。
絶望の淵を覗き込んでいる人の視線を、
いかにして、上を向かせていき、
最後には希望の星を見上げさせる。
それが「精神腫瘍学」であり、「レジリエンス外来」です。
これは医療という科学だから、再現性があります。
私と清水先生との間にだけ起こる「奇跡」ではなく、
誰にも起こることのはずです。
ですから、
私が受ける治療と、その治療を受けた私の変化
それらを言語化する。
それが、私たちのチームにおける、「文筆家」である稲垣麻由美さんの役目です。
こうして
「人生でほんとうに大切なこと がん専門の精神科医・清水研と患者たちの対話」
は、がんセンターの診療室から始まっていたのでした。