「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

一つ目の物語

レジリエンス.47

「何故、生きようとしないのか?」 稲垣先生の質問に、私が咄嗟に応えられなかったのは、 やはり 「エネルギーの無駄」 という思いがあったからです。 無駄な努力。 叶わぬ願い。 それを追い求めること。 そんな姿は、見苦しい。 そんな姿は、周囲にいる者を…

レジリエンス外来.46

「死を覚悟する。受け容れる」 ということと、 「生きることをあきらめる」 ということは、きっと違います。 おそらく当時の私は、生きることをあきらめていました。 けれども、他人からは、冷静に死を受け容れたように見せかけようとしていたのだと思います…

レジリエンス外来.45

私の視線を180度巡らす。 絶望から希望への180度。 俯いていた私が、天を見上げるようになったのことは、 清水先生との「セッション」の成果です。 しかし、それだけではありません。 親友の能役者金井雄資から学んだ、 「能楽は鎮魂歌であるからこそ、生命…

レジリエンス外来.44

清水先生の外来受診は、前回の受診してからの心象の風景を私が語ることが多かったです。 そもそも、レジリエンス外来を卒業して、既に精神的には安定を取り戻した私が、清水先生の外来を受診するのには二つの理由があります。 まず、私の精神が安定している…

レジリエンス外来.43

今日は午後休をとり、清水先生の外来を受診しました。 食道の腫瘍についての報告です。 いつもの部屋で清水先生と向かい合うと、ふと、背後に稲垣さんが居るような気分になることがあります。 3年前のレジリエンス外来は、私にとって、とても特別なものにな…

レジリエンス外来.42

あの混乱の日々から3年が過ぎました。 5年生存も、達成まであと1年です。 レジリエンス外来のおかげで、 私は今を生きることを続けることで、 未来に生きることを知りました。 そんな私の食道に、腫瘍が見つかりました。 人間ドックの胃カメラで目視できた…

レジリエンス外来.41

清水先生ならば「正解」を知っているはずです。 何故なら、沢山の「死に方」を観ているから。 何故なら、沢山の「死に方」を聴いているから。 しかし 私の問いかけに、清水先生は答えてはくれません。 清水先生は、他の患者の話を話してはくれないのです。 …

レジリエンス外来.40

「人は死んだら、何処に行くのだろう」 「死んだら、この痛みはどうなるのだろう」 私がそんなことを考えるようになったのには、 「医療麻薬」と関係があるのかも知れません。 発現以来、2カ月近く苦しめられた痛み。 私は、医療麻薬のおかげで、その痛みが…

レジリエンス外来.39

私と清水先生との出会いは、稲垣麻由美さんの 「人生でほんとうに大切なこと がん専門の精神科医・清水研と患者たちの会話」で詳しく再現されています。 当時の私にとっては 「どうすれば死を受け入れることができるのか?」 ということは問題ではありません…

レジリエンス外来.38

レジリエンス外来のワーク2で振り返ってきて、 私はようやく清水研先生との出会いまで立ち帰ることができました。 当時の私は、後に清水先生が表すところの 「騎手」が「馬」を制御できない状況でした。 「頭」で「泣いてはいけない」と思っても、 「身体」…

レジリエンス外来. 37

がん宣告を受けてからのがん治療は、いわゆる標準治療と言われる治療になります。 それ以上の治療を、私は望みません。 エネルギー保存の法則、というものがあります。 私は、その人が持つエネルギーには絶対量が決まっていると思っています。 だから私のエ…

レジリエンス外来.36

文筆家である稲垣麻由美さんは、私の受診時のみならず、清水研先生からさまざまなことを取材しました。 その結果は、「人生でほんとうに大切なこと がん専門の精神科医・清水研と患者たちの対話」という著作となるのですが、それはまた別の話。 レジリエンス…

レジリエンス外来.35

「千賀さん、奥さまやお子さんに言えないような泣き事でも、私には伝えてくださいね」 稲垣先生から、そんなメールをいただきました。 だから、稲垣さんの前で泣くことに、あまり抵抗はありませんでした。いや、抵抗感があったとしても、泣くことは止められ…

レジリエンス外来.34

泣いてしまう私を、私はとめることができません。 ただでさえ私の身体は治らない病気を抱えています。 身体だけでなく、心までポンコツになってしまった。 私は私自身に絶望しました。 さらに、私を激しい痛みが襲います。 その痛みを忘れるには、医療麻薬を…

レジリエンス外来.34

泣いてしまう私を、私はとめることができません。 ただでさえ私の身体は治らない病気を抱えています。 身体だけでなく、心までポンコツになってしまった。 私は私自身に絶望しました。 さらに、私を激しい痛みが襲います。 その痛みを忘れるには、医療麻薬を…

レジリエンス外来.33

「戦地で生きる支えとなった115通の恋文」の主役は、「115通の恋文」です。 いえ「115個の物語」です。 稲垣先生はその「115個の物語」の前後や背景を丹念に綴ったのだ。 私は病室の灯りの下で、そんな感想を持ちました。 そして、この本を読むうちに、私に…

レジリエンス外来.32

「戦地で生きる支えとなった 115通の恋文」 この本で描かれる「戦地」とは、 夫が戦う文字通りの「戦地」と、妻が一人で娘を育てる「戦地」の、二つの場所を示しています。 その二つの「戦場」を妻が夫に送る「恋文」が結びます。 「この本は「戦争の本」で…

レジリエンス外来.31

私は「レジリエンス外来」のワーク2の問い2 「がんの宣告後の心の動き」を思い出しています。 来週の検査を申し込む→一週間後検査を受ける→一週間後に検査の結果を聞くと駄目。だから来週の検査を申し込む→一週間後の検査を受ける→一週間後に検査の結果を聞…

レジリエンス外来.30

そんな私の治療は、発現から2ヶ月後にようやく始まることになります。 治療開始まで時間がかかったのは、ひとえに病巣の位置が身体の深部にあることから、「生体検査」の為の「がん細胞の採取」が出来なかったからでした。 がん細胞の特定が出来なければ、抗…

レジリエンス外来.29

天気予報で、「降水確率が80%」であることを知って、ほとんどの人が雨具を用意するように、 「5年生存率が20%」と知った私は死ぬ準備を考えます。 しかし、雨ならばいつかはやみます。 けれども、私の死後も妻や子どもたちの人生は続きます。 私は50歳で父を…

レジリエンス外来.28

「どこの病院でも良いわけないでしょう! セカンドオピニオンを受けてよ。 一生に一回くらい私のいうことをきいてよ!」 妻は泣きながら続けました。 「あなたはもう諦めてるんでしょう。 でも、私は諦めてないからね」 私は、妻の愛情を嬉しく思いました。 …

レジリエンス外来.27

私の祖父は胃がん、父は食道がんで亡くなりました。 私のDNAにはがんで死ぬ遺伝子が引き継がれています。 ですから、私が肺がんで死ぬことは、自然なことです。 私はそう思いました。 ところで、私のがん病巣は心臓の裏側にあるとのことで、がん細胞の摂取が…

レジリエンス外来.26

清水先生は、毎日、死と向き合うがん患者のカウンセリングをおこなっています。 一方の稲垣先生も、「恋文」の著作を通じて死と向き合う日々を送ってきています。 なにしろ「恋文」は、激戦地を転戦する夫に、空襲などからもはやこちらも戦地と呼んでもよい…

レジリエンス外来.25

ワークシート2 問1 病気がわかったとき(告知を受けたまさにそのとき)はどのように考えて、どのような考えが浮かびましたか? 告知を受けたのは、最寄りの総合病院でした。 止まらない咳、続く微熱、左胸の痛みに、会社を午前中だけ休んで、つまり、午後は…

レジリエンス外来.24

がんセンターで毎日がん患者と向き合う清水研医師は、 「日本で一番たくさんのがん患者の物語を聴いた医師」と、呼べるかもしれません。 一方我らが「文筆家」稲垣麻由美さんは、かつて、たくさんの「成功者」の物語を聴いてきました。そして、稲垣さんは「…

レジリエンス外来.23

ワークシート2では、病気と向き合うことになります。 1,病気がわかったとき(告知を受けたまさにそのとき)はどのように感じて、どのように感じて、どのような考えが浮かびましたか? 2,その考えは(数日、数週、数ヶ月と)時間は、そのうちにどのように変…

レジリエンス外来.22

こんなことでは、周囲の期待に応えられない。 待ってくれていた仲間の輪に入れない。 そして、その事に自分が気づくということは、さらに自信を失わせることになる。 私は毎日毎日、確実に自信を失っていきました。 そんな私の話を聴いて清水先生は確認して…

レジリエンス.21

この頃、私は会社への復職を果たしていました。 といっても、産業医の指示で、勤務時間を短縮した「短時間勤務」でした。 さらに会社は、私に「重要であるが、緊急ではない案件」を担当させてくれました。とりあえずの「締め切りがない」案件の検討です。 私…

レジリエンス外来.20

そういえば、私が最初に精神腫瘍科外来を受診した時、 つまり、初めて清水先生と出会った時のことですが、 その場に隣席していた研修医さんから、次のように言われたことを思い出しました。 「がんは激しく痛む場合があります。あまりの痛さに「死んでしまい…

レジリエンス外来.19

「死なないつもり」で生きていた頃の私が、 一番嫌いなことは、 「老いる」ということでした。 「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ」 という、細川ガラシャの辞世に共感していました。 ですから、 「5年以内に95%の確率で死ねる」 と…