レジリエンス外来.30
そんな私の治療は、発現から2ヶ月後にようやく始まることになります。
治療開始まで時間がかかったのは、ひとえに病巣の位置が身体の深部にあることから、「生体検査」の為の「がん細胞の採取」が出来なかったからでした。
がん細胞の特定が出来なければ、抗がん剤の種類が決められません。抗がん剤の種類が決まらなければ、治療は始められません。
最初の病院はがん細胞を採取する為に「開胸手術」をすると言われたことからも、回避しました。そして、セカンドオピニオンとして大学病院のがんセンターに行き、気管から針を刺して病巣にアプローチしました。
しかし、がん細胞に届きません。
ついに、私たちは国立がん研究センター中央病院にたどり着きました。
「がん治療の最高峰である国立がんセンターで治療して駄目ならば、諦めもつくだろう」
私はそんなことを思っていました。
ところが、国立がんセンターでも気管から針を刺してのアプローチに失敗します。
結局は二泊三日の入院検査で、食道から裏側のがん病巣にたどりついたのでした。
がん細胞が特定された結果、出された診断は、
「5年生存率5%、治療しても20%にしかならないことをご理解ください」
この2ヶ月の間、激しい咳と左胸の痛みが続いていました。
私は、咳と痛みという苦痛から解放されたいと思います。
どうせ長く生きられないのならば、せめて苦痛から逃れたい。
そんな思いで、私は国立がん研究センター中央病院に入院します。
「葬儀委員長は大澤健二さん、弔辞は金井雄資さん」
そんなことを妻に言いながらの入院でした。
稲垣麻由美さんの「115通の恋文」を連れての入院でした。