レジリエンス外来.26
清水先生は、毎日、死と向き合うがん患者のカウンセリングをおこなっています。
一方の稲垣先生も、「恋文」の著作を通じて死と向き合う日々を送ってきています。
なにしろ「恋文」は、激戦地を転戦する夫に、空襲などからもはやこちらも戦地と呼んでもよいような銃後の妻が送った「恋文」を連ねて夫婦の命を描いた物語です。稲垣先生は、時空を超えて往き交う命を見つめていたことでしょう。
そのお二人の前では、私は死と向き合うことにおいてはアマチュアのようなものかも知れません。
ですから、「自分は死ぬのだ」という未来を、受け容れようとするので精一杯だったのかも知れません。
そうそう、私のがんは「細胞検査」にたどり着くまでに2ケ月がかかりました。
そして最終的に、最初の5年生存率は20%だったのに、
「このまま放射線治療だけだと5%。放射線と抗がん剤を同時に治療すれば20%になるかも知れません」
と、いう診断になっていました。
問い2
その考えは、(数日、数週、数ヶ月と)時間がたつうちに、どのように変化していきましたか?
変化したのには、いろいろな「きっかけ」がありました。