「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

レジリエンス外来.15

私が私の遺書の執筆を託す「文筆家」として稲垣麻由美さんを選ばせていただいた最大の理由は、稲垣さんが、「戦地で生きる支えとなった115通の恋文」というノンフィクション作品の著書であるということでした。

この作品は、稲垣さんのご友人が保存していた、古い「恋文」をベースにしています。そしてその「恋文」とは、先の戦争に出征した父に宛てて母が送ったものでした。死線を越えて生きて帰った父が、復員の際に唯一持ち帰ったものが、この妻からの「恋文」なのです。

この「恋文」の差出人も受取人も、いわば「無名の人」です。その無名の人の物語を「恋文」をもとに背景となる戦時中の歴史を含めて、事実を積み重ねて書かれた作品が、「戦地で生きる支えになった115通の恋文」でした。そして、稲垣さんは自身でこの本の出版の企画まで手がけています。

私が清水先生の一般外来を受診する中で、「死生観」というキーワードに出会いました。

そして、能楽師金井雄資から、「穏やかな死を迎えるために、限りある時間を大切に生きる」という「死生観」か日本には古来からあることを学びました。

がんに罹患して死と直面した私にとって、救いとなる「死生観」でした。

ただし、私からこの救いを、救いなどというと、スピリチュアルな感じになってしまいますが、

他の人たちに伝えることは難しいことでした。

私には時間がなかったし、私には人に伝える手段さえ見当もつきませんでした。

だから、清水先生、稲垣麻由美さん、大澤健二さんに力を貸していただくことにしたのでした。

逆に言えば、この人たちがいてくれたからこそ、「伝えたい」と思ったのでしょう。

しかし、稲垣麻由美さんは私たちの申し出に困惑してしまったようでした。

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