レジリエンス外来.14
清水先生の「レジリエンス外来」を受診するために、
私がさまざまな「準備」を行なったのは、
もちろん「5年生存率5%」を信じていたからです。
私は残された時間を、無駄に使うわけにいかない。
残された時間を大切に使うには、どうしたら良いのか。
私には伝えたいことがあるのだけれど、
そのことに私の時間を使うことに、
私自身が納得したかったのです。
その答えを求めて「レジリエンス外来」を受診しようとしました。
私は、能楽という日本古来の芸術の原点にある「生命讃歌」という「死生観」から、穏やかな死を迎える準備が出来るようになりました。
この「道のり」を「精神腫瘍学」というアメリカで生まれた科学によって、誰にでもわかるように解説することができるのではないか?
と、期待したからです。
そして、その「道のり」を「文筆家」によって私を知らない人たちにも伝えていただく。
ここまでが、私の残された時間を使いたいことです。
しかし、このことを成し遂げるには、時間がかかると思われました。
やがて訪れる私の死の後、私の亡きあともこの「事業」を完遂する役目を果たす人間が必要でした。
私の親友、大澤健二さんは、大きな組織のリスクマネジメントを担当する人で「対処する」ということにとても長けた男です。 また、金井雄資も「この人ならば」と認める人物です。
私から私の遺志を託したい旨の相談を受けた大澤さんは、笑いました。
「では、私は応援団長になりましょう」
大澤さんは、妻と金井雄資を「顧問」とする「応援団」を結成してくれました。
そして、大澤さんと妻と一緒に「文筆家」稲垣麻由美さんを訪ねました。
「レジリエンス外来」を受診する準備は、最終段階になってきました。