レジリエンス外来.16
稲垣さんは「文筆家」という専門家の立場から、がんの本は「出版すること自体が難しい」ということを教えてくれました。
闘病記であれば、有名人のものでなければならない。
ドクターが新しい療法を紹介する。
食べたらがんが治る食材を紹介する。
「がんの本は、そのいうジャンルです」
私たち夫婦も応援団長も、稲垣さんに上手く説明できていませんでした。
「伝えたいのは、例えば「精神腫瘍学」です。私たちが欲しいのは、「がんの本」ではありません」
稲垣さんは「がんの本ではない」というキーワードに余計に困惑したようでした。
稲垣さんが知る私は、がんに罹患する前の私です。
髪は黒く、力強く熱弁する「闘士」でした。
しかし、目の前の私は、痩せて髪も白く抜けた老人。
さらに、旨の腫瘍が反感神経を麻痺させて、声がかすれて上手く話せません。
しかも私は「文筆家」としての稲垣さんと、それまで一緒に仕事をしたことがありませんでした。
私が「文筆家」としての稲垣麻由美を知るのは、「115通の恋文」だけです。
それでも稲垣さんは私が清水先生の「レジリエンス外来」を受診する際に同席することに同意してくれました。
こうして、我らの「文筆家」が、「日本で一番たくさんのがん患者の話を聞いた医師」と出会う準備もできました。
ようやく私たちの「レジリエンス外来」は始まりました。