レジリエンス外来.49
清水先生が沢山のがん患者の物語を聴いたように、
稲垣先生も、沢山の成功者といわれる人たちの物語を聴いてきました。
稲垣先生は、「ハッピーエンド」というキーワードが、私を動かすであろうことを知っていたのかも知れません。
とにかく、私は稲垣さんに何を書いてもらいたいのかがわかりました。
それは、がん宣告を受けた、つまり、死と直面しか人が、精神腫瘍医にサポートを受けて自分なりの幸せを掴む実話です。
稲垣先生は取材と出版社に提出する企画書の作成に没頭しました。
なにしろ当時の稲垣先生は、清水先生への密着取材の効果で、「清水先生の質問が予想できるようになったかもしれません」と、少女のようにはしゃいでいました。
その稲垣先生の企画書は、いくつもの出版社の企画会議の俎上に乗るものの、なかなか出版に至りません。
「がんの本は、有名人である患者自身が書いたモノか、有名な医師が書いたモノしかない。
患者でも医師でもない、そして有名人でもない文筆家の本は、売れそうに無い」
という、商業出版ですからごもっともな理由で、稲垣先生は連敗を続けることになります。
けれども、何故か私たちは、「出版される」ということに1ミリも疑いを持ちませんでした。
ビジネスマンの私たちは、「良いモノが売れる」というお伽話を信じていません。
けれども、世の中に必要なモノは必ず世の中に知られるようになる、ということは知っています。
もしかしたら、私たちが伝えたいことは、私たちの次の人たちが伝えることになるから知れない。
けれども、そのきっかけになるならば、私たちのやることには、意味がある、
とはいえ、獅子奮迅の頑張りは稲垣先生が一人で受けもってくれていました。
私は、その頃から、「痛みのコントロール」に挑戦することになりました。