「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

レジリエンス外来.49

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清水先生が沢山のがん患者の物語を聴いたように、

稲垣先生も、沢山の成功者といわれる人たちの物語を聴いてきました。

稲垣先生は、「ハッピーエンド」というキーワードが、私を動かすであろうことを知っていたのかも知れません。

とにかく、私は稲垣さんに何を書いてもらいたいのかがわかりました。

それは、がん宣告を受けた、つまり、死と直面しか人が、精神腫瘍医にサポートを受けて自分なりの幸せを掴む実話です。

稲垣先生は取材と出版社に提出する企画書の作成に没頭しました。

なにしろ当時の稲垣先生は、清水先生への密着取材の効果で、「清水先生の質問が予想できるようになったかもしれません」と、少女のようにはしゃいでいました。

その稲垣先生の企画書は、いくつもの出版社の企画会議の俎上に乗るものの、なかなか出版に至りません。

「がんの本は、有名人である患者自身が書いたモノか、有名な医師が書いたモノしかない。

患者でも医師でもない、そして有名人でもない文筆家の本は、売れそうに無い」

という、商業出版ですからごもっともな理由で、稲垣先生は連敗を続けることになります。

けれども、何故か私たちは、「出版される」ということに1ミリも疑いを持ちませんでした。

ビジネスマンの私たちは、「良いモノが売れる」というお伽話を信じていません。

けれども、世の中に必要なモノは必ず世の中に知られるようになる、ということは知っています。

もしかしたら、私たちが伝えたいことは、私たちの次の人たちが伝えることになるから知れない。

けれども、そのきっかけになるならば、私たちのやることには、意味がある、

とはいえ、獅子奮迅の頑張りは稲垣先生が一人で受けもってくれていました。

私は、その頃から、「痛みのコントロール」に挑戦することになりました。

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