レジリエンス外来.44
清水先生の外来受診は、前回の受診してからの心象の風景を私が語ることが多かったです。
そもそも、レジリエンス外来を卒業して、既に精神的には安定を取り戻した私が、清水先生の外来を受診するのには二つの理由があります。 まず、私の精神が安定していることの確認。 一度でも死と直面したら、もう、死なないつもりで生きていくことは出来ません。私の精神は不安定になりがちです。その精神の安定の確認が受診の理由の一つ。 そして、二つ目は、絶望の淵を覗き込んでいた私が、いかにして希望の星を望み見ることになったかを言語化したい。と、いう希望からなのです。
そうです。
普通の人である私に出来たことです。
他の人にできないはずはありません。
なんとか言葉にして、沢山の人に伝えたい。
実は、私としては、 日本古来の「死生観」がキーワードではないか、 と思っています。
草木国土悉皆成仏。
あらゆるものは、仏性を持つ、
ゆえに、あらゆるものは成仏できる。
いえ、それよりも、
何もかも白黒の区別ができるものではない。 白黒の間の灰色。この世は灰色のものが多い。
さらには、清流に恵まれたこの国だからこそ
「水に流して終わりにする」という「始末」の付け方。
良い悪いはさておき、 生まれて育った国の文化からなる「死生観」のおかげで、 私も灰色になることできました。
うつむいていた視線を、180度巡らすことができました。
その軌跡を、「精神腫瘍学」というアメリカ生まれの科学の言葉で表すことができたら。誰にでも伝えることができるでしょう。
私は清水先生との時間を、「セッション」というようになりました。