レジリエンス外来.46
「死を覚悟する。受け容れる」
ということと、
「生きることをあきらめる」
ということは、きっと違います。
おそらく当時の私は、生きることをあきらめていました。
けれども、他人からは、冷静に死を受け容れたように見せかけようとしていたのだと思います。
妻と稲垣先生にはお見通しでしたが。
妻は伴侶として私を知り尽くしていますし、
稲垣先生は、文筆家としての冷徹な観察から、
私が「逃げ切り」の体勢に入ろうとしているのを
見透かしていたのでしょう。
後に思い残しはあろうとも、
マンション能楽ローンを終わらせて、
最低限の「家長」の務めを果たしての逃げ切り。
それが、当時の私の心つもりだったのでしょう。
しかし、妻も稲垣先生も、その逃げ切りを咎めました。
二人ともわかっていたのでしょう。
逃げ切りなどを企だてたことを、
きっと、私が後悔するであろうことを。
そして、後悔する余裕が無いかも知れないことを、