「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

コイントイル.12

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「私の肺がん細胞は、もう死んでいるのかも知れない」

そんなことを思わせるほど、CTスキャンで映し出される私の肺がんは、いつも「同じ形」をしています。

だから、私はこの肺がんと、「一緒に生きていける」つもりになっているのかも知れません。

今回、主治医が見つけた「変化の兆し」が、肺側ではなく、リンパ節の側であることを、自分で確認する冷静さを持つことができたのは、清水先生とのセッションの賜物でした。

さらに、リンパ節側に拡張したがん細胞は、転移しやすいことから、「様子を観る」ということしか選択肢がないことも冷静に受け止めることができました。

 

また、身体的な治療が必要になるのだろうか。

転移した先によっては、そんなことも起きるでしょう。

私は、清水先生の外来受診時に、このように報告しました。

「私は死ぬならがんで死にたいので、がんの拡張を受け入れることができると思います。これは「希死念慮」とは違うと思います。「死にたい」というのと、「死ぬのは仕方ない」という違いです」

清水先生が尋ねます。

「どうして、そのように思えるようになるのでしょうか?」

清水先生の表情は、少し暗く見えます。 

「やっぱり、痛いからですね。だいぶマシになったとはいっても、理不尽な痛みが続くと、「この痛みを終わらせたい」と、単純に思いますからね」

「痛みですか」

清水先生の表情は、著作の「もしも一年後、この世にいないとしたら」が50000部も売れた、という話題になっても晴れません。

「私は2015年の夏に発現して、5年生存率は5%だから、私の余命は5年。ざっくりその思って生きて来ました。そしていよいよ4年目になったら、リアルに「もしも一年後、この世にいないとしたら」笑っちゃいます」 

私には余裕がある。はい、そう思います。

リンパ節側の変化がどうなるか、それは、誰にもコントロールできないこと。

そのことを理解できていること。

これも清水先生のおかげです。

私たちの「たどり着いた道のりを言語化するのは、 「死生観」ではなくて「幸福観」を言語化することだ。そう気づいた矢先の、がんの拡張・転移の兆しでした。

清水先生との来年の計画も、変更する必要があるかもしれません。

私には来ないはずだった2020年は、迎える前に、また、不透明になってしまいました。

けれども、私はそのことを困惑することなく、どこか楽しみながら迎えることができるようです。

やはり私は、かつての人生の延長線上ではなくて、新しい世界で生きているようです。

2019年12月25日に、私はそんなプレゼントをいただきました。

ということで、MERY CHRISTMAS