コントレイル.30
まずは毎日働く。
通勤する。
会社にいる。
人と一緒にいる。
病気になる前にできていたことは、
簡単にできるはずでした。
だって、治療は終わっていましたから。
けれども、治療が終わっても、
私の病気が治ったわけではありません。
がんが身体の中に「いる」ことはもちろんですが、 「痛いから」です。
「身体が痛い」ということは、「普通」ではありません。「痛くない」というのが「普通」です。
私はその痛みを、しかも、普通ではない痛みをクスリでコントロールしながら、毎日働きます。
そうやって、私は命を振り絞った末に死ぬ。
歯磨きなどのチューブを、絞りに絞って「命」という私の「中味」を全部出す。その末に死ぬこと
私が選んだ「死に方」が、私の「生き方」になります。
5年以内に95%の確率で死ぬ。
ならば、
やりたいことに、残った時間を使うべきではないか?
しかし、やりたいことをやる。という生き方は、
私が望む死に方と直結してはいなかったのです。
死にざまは、生きざまに直結するはずです。
つまり、私が「やりたいこと」とは、
働いて家族や、誰かの役に立ちたい。
役にたたないなでも、迷惑をかけない。
ということだったのです。