「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

コントレイル71

日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書)

「死生観」という清水先生の言葉から私が思い浮かべたのは、能・謡曲のことです。

この事は、「人生でほんとうに大切なこと」稲垣麻由美著にも記されています。

人生でほんとうに大切なこと がん専門の精神科医・清水研と患者たちの対話

親友に能楽師である金井雄資師がいる事はもちろんですが、

「日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか」にも以下のように紹介されています。

 

━「弔う」とは「問う」ことであり、「訪う」ことです。

  つまり、死者の世界的を訪問して、死者の思いをあれこれ問うことです。

  能の場合、その多くは、生前どうにもならない悲しみや苦しみを抱いたまま

  死んで成仏できずに亡霊となった者が主人公(シテ)ですが、

  そうした亡霊のところに、僧(ワキ)が訪ねてゆくことによって、

  最後にその想いが聴き届けられ、再現できるというスタイルとなっています。

  その再現はふつうワキの夢の中での出来事として表現されます。

  ワキが夢見る、その夢においてその世界が繰り広げられるわけです。

  死者の「あの世」は「弔う」者の中にあるということなのかもしれません。

 

 この「あの世は弔う者の中にある」という考えかたは、私にとって新鮮でした。

 つまり、「あの世」は、遥か彼方にあるのではなく、

 「この世」に遺した人の中にある。

 ということになります。

 

 この、「あの世」は遥か彼方の世界ではない。

 

 という考えかたについては、「日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか」の中で

 民俗学者柳田国男の「先祖の話」からの引用で紹介されています。

━日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、

 そう遠方には行ってしまわないという信仰が、おそらく世の始めから、

 少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられている。

 

 「あの世」は「この世」の中にある。

 

 死ねば自分は消滅してしまう。と思っていた私が、

「あの世」の存在をいつの間にか肯定していたのでした。

 

 そして、能が、江戸幕府の式楽(公式の芸術)であったことを、金井師に教わったことから、私と清水先生は、日本人独特の文化である「武士道」との関係を考えてゆくことになります。