レジリエンス外来.7
死ぬ時に、人は走馬灯のように人生を振り返るとききます。
その「走馬灯」をきちんと語ることが、
「現在なぜ自分が混乱しているのか」
を理解する手がかりになるということなのでしょうか。
そして、「なぜ自分が混乱しているのか」を理解したならば、これから進もうと思う道筋も見えてくるのでしょう。
私は「走馬灯」を語ることにします。
レジリエンス外来を受診した頃、私は既に両親を亡くしていました。
特に私は5年前に、父親をがんで亡くしていました。
私の父は、とても「きれいに」逝きました。
父は食道がんの告知を受けると、ひとりで入院してしまいました。父のがんは末期で、腫瘍は食道を塞ぐほど大きくなっていました。
医師はQOLを高めるために、食道にパイプを通すことを勧めてきました。
残りの時間、せめて食事ができるように、との配慮からの提案でした。
私も妻も妹夫婦も、医師の提案を受け入れました。
せめて食べたいものくらい食べさせてやりたい。
どうせ、長くないのならば。
しかし、父は手術を受けることを選びます。
医師や私たちがどんなに説得しても聞き入れません。
結局、父は抗がん剤で腫瘍を小さくしたのちに外科手術を受けて、食道から腫瘍を全て取り去りました。
8時間にわたる大手術でした。
そして、手術の半年後に父は亡くなりました。
父が亡くなった時の顔は、入院中に丸刈りにした私に、よく似ていました。
もちろん、私が父に似ているのですが。
父は金銭的な面も含めて、ほとんど介護を受けずにひとりで逝きました。
私は私のことよりも、父親のことばかり考えていました。