「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

レジリエンス外来.8

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「どのようなご家族(ご両親)のもとに生まれどのように育てられましたか?」

私は第1問のさらに入口ともいえる両親、

特に父親への思いにとらわれました。

私は父のように死にたかった。

ということは、

父のように生きたかった。

ということになります。

父は寝たきりになった母をひとりで介護しました。

透析にもひとりで連れて行って、

ヘルパーさんなどを家に入れることもせずに

おそらく、母がその望んだからですが。

最期まで母を介護して看取りました。

そして、自分は介護も受けずに、

ひとりで入院して、

ひとりで手術を受けて、

最期は病院で逝きました。

子どもたちには、一切迷惑をかけませんでした。

迷惑どころか、子どもたちを心配してくれていました。

子どもたちには、家と墓を残して逝きました。

そんな父のように死にたいと思っていました。

だから私は「穏やかに死を迎える準備ができている」つもりでいました。

このまま死ねば、子どもたちのお荷物になることはない。

そう思っていました。

たくさんの人に見送ってもらえる自分を、

幸せだと思っていました。

当時の私にとって「5年以内に95%の確率で死ぬ」ということは、けして悪いことばかりではなかったのでした。

レジリエンス外来の入口で、

「私は父のように死にたかったんだ」

と、自分が思っていたことに気がつきました。