レジリエンス外来.10
私は「遺言」という言葉を使いましたが、
私が遺したいものは、 親しい者に遺すラブレターのようなもの、
というよりも
私のことを知らない人にも、 私の「無念」が伝たわるようなもの、 でした。
がんと宣告されて死ぬまでには、いろいろなステップがあります。
しかし、それらのことを、私は知りませんでした。
たとえば、痛みや不眠や爪の形が変わることなどを知りませんでした。
たとえば、感情のコントロールが難しくなって、人前で涙を流してしまうことを、知りませんでした。
私が知らずに苦しんだことを、
私が伝えずにいたために、
これから、がんになる人、未来の人が
私と同じように苦しむとしたら、
それは、私にも責任があるような気がしました。
「精神腫瘍医の存在を、知らしめたい」
まず、がんになって自分が精神的に混乱していることを理解する。
そして、残された時間を、大切な人たちと大切に使うために支援してもらう。
自分ではできないことを、支援してもらうことは、恥ずかしいことではない。
私は、これらのことを、未来の人たちに伝えたい。
伝えなかったならば、きっと、私は後悔する。
いや、私には、これらのことを未来の人たちに伝える「使命」がある。
私は、そんな気持ちにすらなっていました。
何故なら、私にはこの「使命」を果たすことに力を貸してくれる「特別なチーム」を組むことができる、と、思えたからです。
その「特別なチーム」の筆頭は「能楽師」でした。