「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

レジリエンス外来.10

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私は「遺言」という言葉を使いましたが、

私が遺したいものは、 親しい者に遺すラブレターのようなもの、

というよりも

私のことを知らない人にも、 私の「無念」が伝たわるようなもの、 でした。

がんと宣告されて死ぬまでには、いろいろなステップがあります。

しかし、それらのことを、私は知りませんでした。

たとえば、痛みや不眠や爪の形が変わることなどを知りませんでした。

たとえば、感情のコントロールが難しくなって、人前で涙を流してしまうことを、知りませんでした。

私が知らずに苦しんだことを、

私が伝えずにいたために、

これから、がんになる人、未来の人が

私と同じように苦しむとしたら、

それは、私にも責任があるような気がしました。

精神腫瘍医の存在を、知らしめたい」

まず、がんになって自分が精神的に混乱していることを理解する。

そして、残された時間を、大切な人たちと大切に使うために支援してもらう。

自分ではできないことを、支援してもらうことは、恥ずかしいことではない。

私は、これらのことを、未来の人たちに伝えたい。

伝えなかったならば、きっと、私は後悔する。

いや、私には、これらのことを未来の人たちに伝える「使命」がある。

私は、そんな気持ちにすらなっていました。

何故なら、私にはこの「使命」を果たすことに力を貸してくれる「特別なチーム」を組むことができる、と、思えたからです。

その「特別なチーム」の筆頭は「能楽師」でした。