コントレイル.39
とはいえ「死生観」がほんとうに必要だと思いはじめたのは、清水先生との対話を一年近く重ねたからです。
がんは私の人生の一つのエピソードに過ぎない。
そうです。
ほんとうは「死生観」を持っていても、いなくても、
死ぬことに変わりはありません。
私が死んだ後も世界は変わらない。
ただ、私が幸せに死ねば、
私が幸せに死んだ。
そう、私の愛した人たちが感じてくれたとしたら。
私が死んだ後の世界は、少し変わります。
なにしろ、私の愛した人たちは、心優しい人ばかりなのです。
だから、私が死んだら、彼らは悲しんでしまうことでしょう。
けれども、私が幸せに死んだとわかれば、彼らの悲しみも変わります。
救われた気持ちになってくれるでしょう。
「死生観」を持って死ぬということは、死ぬ覚悟ができた上で死ぬことだと思っています。
だから、私には「死生観」が必要なのです。
心優しい友人たちに、余計な悲しむを与えないために。
私は死んでも、彼らに好かれたいのでしょうね。