「人生でほんとうに大切なこと」 精神腫瘍医との対話

「5年生存率5%」のがん患者が、がん専門の精神科医と共に歩んで来た「絶望の淵から希望の星まで」の道程

コントレイル79

消えた痛みはどこへゆくのか?

 

「僕たちは、この病院では、いつもは「治らない方」に医療麻薬をお出しします」

 国立がん研究センター中央病院の緩和ケア担当医は、とても穏やかに話をしてくれます。

 

 がんが不治である場合には、QOLつまり、患者や家族の「残りの時間の質」についてドクターたちは考えることになります。

 

 基本的には痛みを我慢する時間は、無駄な時間というよりも「不幸な時間」でしかありません。

 

 歯噛みをし、息をつめ、時には目を閉じて、筋肉を強張らせて痛みを耐える。その時間は、不幸な時間です。

 

 だから緩和ケア担当だけでなく、医療関係者は「痛みを我慢せずに薬を使うこと」を強く勧めてくれます。

 

 ところが、医療麻薬は、長期的に使用されることを想定して設計されていないようです。

 私はオキシコンチンという医療麻薬成分を5年にわたって使用することになりました。

 

 そして、オキシコンチンの作用の恩恵に浴してきました。

 私の頭痛コントロールは、オキシコンチンのおかげで上手くいっていました。

 

 ある時までは

 

 ある日、私のふくらはぎが、ピクと動きました。無意識のうちに。

 そして、これまでには感じた事がなかった、「新しい痛み」が私を襲いました。

 それは、オキシコンチンの副作用による痛みだったようです。

人生でほんとうに大切なこと がん専門の精神科医・清水研と患者たちの対話

 「人生でほんとうに大切なこと」の中で、痛みをコントロールすることへの抵抗感

 というタイトルで、稲垣麻由美さんが記してくださっています。

 

 私は、医療麻薬で消えてしまう痛みはどこに行くのだろうか?という疑問を、清水先生に問いかけていました。

 

 私はオキシコンチンの副作用の「痛み」がでた時に、清水先生に伝えました。

「先生、消えた痛みはどこに行くのか、わかりましたよ」

「どこですか?」

 清水先生は生真面目に問い返してくださいます。

 「消えた痛みは、どこか遠い世界に行ったのではなかったです。消えた痛みは帰ってくる時を待って、私のすぐそばにいました」

 

そう笑う私に、清水先生も苦笑するしかありませんでした。

 

 私は副作用を抑えるために、医療麻薬の服薬を控える挑戦を始めました。

 もちろん、緩和ケア専門医との二人三脚で、です。

 

 在宅勤務が始まった時、私は「減薬のチャンス」だと想いました。

 出勤していれば、周囲の目があるために痛みに耐えているわけにもいきません。

 PCの前でプルプルと震えながら痛みに耐えてる人の隣で働きたい人は少ないでしょう。

 けれども、在宅勤務であれば、ある程度まで我慢することは可能です。

 

 私は医療麻薬に束縛されている自分を嫌っているのだとおもいます。

 

 私は医療麻薬を半減させて見ましました。

 薬の作用も副作用も、最低限2週間かけないと結果は出ません。

 私は2ヶ月の間、半減した暮らしを続けました。

 

 昨日、私は、医療麻薬の量を少し増やしました。

もちろん、緩和ケアのドクターとの相談の結果です。

クスリの増量した昨日一日でも、私はしみじみと感動しました。

 

痛みのない時間というのは、とても美しい時間なのだ、ということに。

 

 稲垣さんに清水先生との「痛みと薬」についての話をしてから、

そろそろ、四年という時間が過ぎています。

私は四年間、痛い思いをしてきました。

この痛みは、まだまだ続きそうです。

 

 それでも、医療麻薬を上手に使い、美しい時間を生きているということが私にはできます。

 その幸運を、改めて嬉しく、ありがたく思っています。