レジリエンス外来.53
それは、私が通医する国立がん研究センター中央病院の2階A外来の待合で起きた小さな「事件」でした。
治験の点滴を受ける前の診察を、私は待合で待っていました。
いきなり、怒声が響きました。
読んでいた本から顔を上げると、お婆さんが杖を上手く使えずにふらついています。
そのお婆さんを、手助けもせずに、「愚図」と罵るお爺さんが怒声を上げていたのでした。
お婆さんも自分が杖を上手く使えないことに苛立ちながら、お爺さんに何か言い返していました。
おそらくお婆さんは、がんで体調を崩して杖を使い始めたのでしょう。がんになる前はシャキシャキ、テキパキしたお婆さんだったのではなかったか。
お婆さんがお爺さんに言い返す言葉の端に、「気風の良さ」のようなものを感じました。
そのお婆さんに、お爺さんは逆上したように大声で罵声を浴びせました。
それは待合が静まり返ってしまうような大声でした。
いえ、私は「罵声」と書きましたが、正しくは「悲鳴」でした。
お爺さんは、お婆さんがもうすぐ「居なくなってしまう」ことに恐怖を感じていました。
お爺さんが知っている、お婆さんは杖をついてマゴマゴするような人ではないのです。
けれども、がんになってしまったお婆さんは、もう、以前のお婆さんには戻れませんません。
やがては、居なくなってしまいます。
その恐怖から、お爺さんはお婆さんに向かって悲鳴を浴びていました。
そして、その場所にいた誰もがお爺さんの悲鳴を理解しました。
だって、ここは、国立がんセンターですから。
お爺さんは、お婆さんが、がんに罹患したと知った時から動転してしまったのでしょう。
けれども夫として妻を「看取る」責任感を持っている。
お爺さんはお婆さんを指図することで、夫としての権威を振り回すとともに、お婆さんを失う恐怖に耐えている。
お婆さんはお婆さんで、口ごたえすることで、がんになってしまった自分を責めている。
間違いありません。この老夫婦は、自分が通う病院に、清水研先生が居ることを知らないのです。
だから、二人は罵声を浴びせ合っている。
私は、怒りのようなものを覚えました。
私は、老夫婦のことを怒ったわけではありません。
清水研先生を「知らない」
ただ、それだけのことで、二人の残された時間が「罵り合い」に費やされてしまうなんて!
そして、お爺さんはお婆さんに投げかけてしまった「言葉」に後悔し続けることになるなんて!
清水研先生を知らない
「清水研を知らない」ということは、取り返しのつかない悲劇を生むという事実に怒りを覚えました
私は稲垣麻由美先生に「がん専門の精神科医がいる」ということを知らせる書籍の出版をお願いしました。
私は「清水研先生の患者であった」ということで、永遠になろうとはかりました。
そして、当時KADOKAWAにいらした清水能子さんに力を貸していただいて「人生でほんとうに大切なこと がん専門の精神科医・清水研と患者たちの対話」が出版されました。
そして、その「人生でほんとうに大切なこと」を読んだ文響社の野本由莉さんが、
「今、生きづらさを感じている人へ」と、生きることの意味を考える本、という位置づけの書籍
「もしも一年後、この世にいないとしたら。」(清水研著 文響社)が出版されました。
私が生きて手にすることはないだろう。そう思っていた本です。
私としては、「本懐」ということかもしれません。